無知から始まる好奇心

暇人ヒマジンの気まぐれアウトプット

映画『凶悪』を観る

どうも、暇人ヒマジンだ。

若者はリアルに対しての感受性が薄くなっているように思われる。ネットによってリアルタイムに情報が得られるようになった。死に対する情報も入る。知識として既知の状態には各々がある。しかし実際には経験はしていない。よって、リアルさに欠ける感情がどこかにある。そのため、当事者意識が無いケースもある。

本作品を観て思うのが、

「人間関係の真実を明らかにするよりも、自然の摂理(天道)を解明したほうがよっぽど世のためになる」

「大きなこと、世界平和であったり、国家のためであったりなど、大きな理想、真実を正義として突きつめる主体は男性で描かれることが多い。しかし、妻(女性)は色々と正義を口にするが、結局は目の前にある幸福を求めている」

「人の死に対する凶悪さは、常に二人称、三人称へと移り変わる容易さ、不安定さを含んでいるということ。よって、第三者も急に凶悪となり得る要素が大いにある」

本作品は事実を基にしたフィクションである。演じるのは、リリーフランキーピエール瀧。映像を見ても分かるようにまさしく狂人、凶悪を演じている。

最後のシーンは非常に印象的だ。つまり、誰もが、凶悪になり得る要素を持っているということ。